《…………》
何か……動いている……。
懐中電灯に照らされ、ぬらぬらと光る無数の赤い突起が……壁の中に沈み込んでは出て、沈み込んでは出てを繰り返していた。
まるで生き物のように、その壁は全体が奇妙に波打っていたのだ。
(まさか……。)
俺は理解した……。その壁が、怪物の体の一部であることを。
(でか過ぎる……。)
昨日の夢に出て来た奴もかなりでかかったが、それよりも遥かに巨大だ。
一体どうなっているのか……。
俺は全体を把握する為、後ろに下がった。
「…………。」
シロアリの女王に似ている。胴体が芋虫のように太く長い。頭はここからじゃ見えないが……。
(役割が同じとすると……。)
あれは一日に数百個もの卵を産むという。
(こいつを倒さなきゃ終わらないな。)
そう感じた俺は、すぐに女王の頭を探すことにした。
胴体を攻撃することもできるが、このでかさで暴れ回られたら堪らない。やるなら一撃で仕留めるべきだろう。
問題は……。
(どっちが頭だ……?)
女王の体をよく照らしてみるが、蠢くのみで移動しない為、判断できない。
《ギイィイイィィ!!》《ギギギギィィ!!》
小さな怪物は四方八方から現れる。
(悩んでる場合じゃないな……。)
《ボオオオォォォォォ!!》
俺はライターから黒炎を
近付く怪物を焼き消しながら、女王の頭を目指す。
だが――。
《ギオオオオォォォォ!!》
「っ!?」
今までの怪物とは比べ物にならない程の大きな鳴き声が響き、同時に何かが猛スピードで目の前を通り過ぎた。
俺は懐中電灯を素早く動かし、その正体を捉える。
(脚……!?)
《ギオオオオオォォォォ!!》
俺は絶句した。
女王とは別の、巨大な怪物が目の前に姿を現したのだ。
(こいつは……王……!?)
女王がいれば、当然、王もいる。
《ギオオオッ!!》
「っ!!」
王は長い脚を動かし、攻撃してきた。
まるでこの先には行かせないと言わんばかりだ。
《ボオオッ!!》
俺は脚をかわしながら、王に向けて黒炎を放った。
しかし――届かない。
《ギオオオオオッ!!》
体の下には潜り込めたが、リーチが足りず、黒炎が当たらない。
(なら――)
王の脚を狙う。
俺はその場で停止し、攻撃を待った。
普通に追いかけ回し、黒炎を当てる手もあるが、体力は温存したい。
《ギオオオッ!!》
王が俺に向けて脚を振り下ろす瞬間――。
《ボオオオォォ!!》
カウンターで黒炎を放ち、脚を焼き消す。
そしてバランスを崩した隙に、別の脚も焼き消す。
《ギオオオオオオッ!?》
二本の脚を失った王は、その場に倒れる。そこを黒炎の餌食にする。
《ボオオオオオッ!!》
《ギオオオオオッ!?》
黒炎を浴びた王はもがき苦しむが、幾ら暴れても無駄だ。昨日の怪物も耐えられなかった。
俺は王が完全に消えるのを確認すると、女王の頭に向けて再び走り出した。
◆
《ボオオォォォ!!》
女王も呆気ないものだった。
頭を燃やされ、断末魔を上げる間も無く消えた。
残ったのは、無駄にでかい胴体のみ。
「はぁ……。」
終わった。
この異臭漂う怪物の巣窟で深呼吸などしたくないが、体が酸素を求めている。
肉体的にも……精神的にも疲れ果てた。
「…………。」
それでも、考えなきゃならないことがある。
この悪夢は……まだ続くのかということ。
明日も、明後日も、その先も――。
(何でこんなことになった……?)
坂力の事件に関わったのがきっかけか?
……いや、もしそうなら自分以外にも悪夢を見る人間がいなきゃおかしい。
確かめ――。
四・束の間の安息
二月四日(水)
《ピピピピピピピピピ!!》
「………………………………。」
(なんてタイミングだ……。)
強引に現実に引き戻された。
目覚まし時計の不快なアラーム音が、絶え間なく耳に流れ込んでくる。
御蔭で思考は中断を余儀なくされた。
「はぁ…………。」
疲労と安堵から、溜息を吐き、脱力。
(戻ってこれたか……。)
これで2回目。
(……いや、待て――)
俺は目覚まし時計を止めると、近くの窓に手を突き、開いた。
すると一気に冷たい空気が部屋に流れ込んでくる。
俺はそれを感じ――
(……寒っ。)
すぐに窓を閉めた。
(現実……だな。)
「はぁ……。」
そう、この寒さと倦怠感が現実。悲しいことに、悪夢の中で味わったあの清々しさは一切無い。
(くそ……。)
……いや、悲しみに暮れている場合じゃない。
俺はベッドから離れると、机に向かい、メモ帳とペンを取り出し、夢で起きた出来事を書き出した。
頭は酷く疲れているが、大丈夫だ、全て覚えている。
藤鍵の頼みと、ほんの少しの興味で始めたことだが、こんなことになった以上、適当に切り上げる訳にはいかなくなった。
あの悪夢は何なのか。
この現象に巻き込まれているのは俺だけなのか?
坂力が遺書に書いていた怪物というのはあれのことなのか?
俺は知る必要がある。
■
AM7:00 六骸家一階・ダイニング
「…………。」
朝のニュースを見ているが、今は何処もとある殺人事件の話題で持ち切りで、坂力のことが取り上げられることはない。
まぁ……大きな事件で賑わってなくとも、一般人の自殺なんて、余程、特殊でなければ報道されないだろうが。
(確か……。何て言ったか……。)
「…………。」
駄目だ。眠気が邪魔して思い出せない。
「裁朶姉。」
「んー?」
俺はテーブルの向かい側に座る姉に助けを求めることにした。
「自殺のことを大きく報道できない理由って何だったっけ?」
「……ウェルテル効果?」
ああ……それだ。
自殺報道によって自殺率が上昇する……心理学の現象。
迷信のように思えるかもしれないが、実際、影響を受けるらしい。特に若者が。
有名人の後追い自殺なんかを調べてみると、結構沢山死んでいて驚く。
だからメディアは慎重になる。
……。具体的に思い出せないが、WHOが守るべきルールを定めていた気がするな。
(…………。)
父さんは何も話さないだろうし、坂力のことを知るには、やはり待ってるだけでは駄目だ。
命の危機かどうか分からないのがあれだが……、勘が急げと囁いている。
「あ、じゃあ、パパゲーノ効果って知ってる?」
……。また突然、母親が会話に入ってきた。
「何ゲーノ?」
「パパゲーノ効果。ウェルテル効果とは真逆で、自殺を予防する報道によって、自殺率が低下する現象のこと。」
そんなのがあったのか。
「私は知ってる。」
(あ、そう。)
後で調べておこう。
「ゲームを作る時も、そういうの考えなくちゃいけないのよね~。」
(……表現の規制か…………。)
テレビ番組を見ていても、昔と比べ、ショッキングな内容はだいぶ無くなったと感じる。
それを残念だと思う気持ちはあるが、仕方ないと、諦めなくてはならない。
刺激を欲するのは人間として当たり前のことだが、他人のことを考えずに行動する者は社会から弾き出される。
……強い理性を持たなければ。
苦しくても、辛くても、抑圧に耐えなければ、真っ当に生きることはできないのだから。
■
家を出る時間が近付き、俺は裁朶姉と共に玄関へ足を運んだ。
暖房の効いた家から出るのは気が進まないが、行かなきゃならない理由は幾つもある。
「…………。」
目の前でしゃがんで靴を履く裁朶姉。
今日も変わらずしっかりしていて、頼もしい限りだ。
「……?」
ふと見ると、裁朶姉の肩に何かゴミがくっ付いていた。
気になったので、俺は取ろうと手を――
《バッ》
――伸ばしたところ、凄い速度で手首を掴まれた。痛い。
「何?」
ゴミを見るような目で睨み付けてくる裁朶姉。そんなに触られるのが嫌か。
「ゴミ付いてたんだよ……ほら。」
「…………。」
裁朶姉は俺の指に挟まっている糸くずを確認すると、すぐに手を放した。
《ガチャ》
そして何も言わず、家を出ていく。
「はぁ……。」
礼は要らないが、詫びは入れてほしい。
まぁ……、急にしおらしくなられても気持ち悪いが。
少し気分が沈んだが、すぐに持ち直した俺は、靴を履き、家を出た。
「あんたさ……。」
「ん?」
すぐに走っていくと思いきや、裁朶姉は止まり、話しかけてきた。
「……いや、やっぱ何でもない。」
「は?」
(何だ?)
裁朶姉は走っていく。
……。
俺の心にまた一つ、妙な疑問を残して。
■
PM0:45 浅夢高校一階・学生食堂
授業の合間の休憩時間、藤鍵に夢のことについてそれとなく聞いてみたが、俺と同じ状態にはなっていないようだった。
何故、坂力と関わりの深い藤鍵には何も起きず、俺には起きているのか……。
謎の答えは見つからず、俺は昼休み、また学食へ来ていた。
(…………。)
気分転換……ではない。
昨日、例の脅迫メールのことについて考えていた時、ふと
中学の時に知り合った、俺の唯一の女友達。
確かE組――坂力と同じクラスではなかったかと。
そして、それは担任にE組の名簿を見せてもらった時に確認した。
別にそんな周りくどいことをしなくても、直接確認しに行けばいい話だと思われるかもしれないが……、高校に入学してからは、裁朶姉のこともあって、俺は麗蓑を避けていた。あまり不審な行動はしたくない。
親しげに会話なんてしていたら、あいつまで変な噂に付き纏われる。
それは互いに望まない状況だ。
最初は顔を見る度に話しかけてきたあいつも、俺の態度や周囲の様子から察して、もう一年ほど関わってこない。
俺は……それでいいと思っていた。
しかし……ここに来て……。
「ふぅ…………。」
俺は弁当を買った後、教室に戻らず、端の方の席に座った。
麗蓑は大の母親嫌いで、手作り弁当を拒否している。
今も変わってなければ……。昼はここに来る筈なのだ。
しかし、友達と一緒だった場合は非常に話しかけ辛い。何か良い方法はないか……。
中学の頃、連絡先を交換し合ったことがあるが、あれはもう必要無いと思って消してしまった。
当然、覚えていないからメールを送れない。
(どうする……?)
……。
そういえば、藤鍵の兄と知り合いのようだった。昨日、見た感じ、仲良さそうだったし……、メールアドレスくらい知ってるかもしれない。
――と、そんなことを考えていると、麗蓑が女子グループに混ざって学食に来た。
弁当を食べながら様子を眺めるが、一人になりそうな気配は無い。
(…………駄目か。)
そう、諦めかけた瞬間だった。
――麗蓑と目が合った。
すぐに視線を逸らす。
「…………。」
反射的にそうしてしまったが、呼べる良いチャンスだったな……。
「はぁ……。」
(どうしたものか……。)
《ガタッ!》
「……!?」
突然、向かい側の椅子が引かれ、俺は顔を上げた。
「いいよね、ここ。」
「あぁ……。」
麗蓑だった。
「どうしたんだ?」
「いや、何かあるのかなって。」
(察しが良いな……。)
まぁ、昨日も居たしな。
「……場所を移すか?」
「あぁ、やっぱり気にしてたんだ。でも、もう落ち着いたと思うよ? あれから何も問題起きてないでしょ?」
「どうだろうな。」
「もう皆、そんなに興味無いと思うなぁ。高校生だし、自分のことで精一杯だって。」
麗蓑の感覚ではそうかもしれないが、俺の目からはまだまだ子どもが多いように見える。
クラスメートの半数以上、そして藤鍵も。
「俺は今のままが居心地良いから、こういうのは嫌なんだけどな。」
「うん、知ってる。だからさ、私への用ってよっぽどだよね? もしかして、例の事件のこと?」
「あぁ……、藤鍵は……知ってるよな? 弟の方。」
「うん、確か
「そう。あいつ坂力の友達だったらしくてさ。自殺の理由を探ってほしいって頼まれたんだ。」
「マジ?」
「お前、同じクラスだろ? お前にはどう見えた? 坂力は。」
「……う~ん、あんまり話したことないから……。自分から誰かに話しかけるタイプじゃなかったし……。
一応、私の見てる範囲では、誰ともトラブル起こしてなかったけど……。」
「そうか……。」
坂力については、藤鍵とほぼ同じか。スクールカーストの上位に入れる麗蓑もそんな感じなら、恐らく他の生徒に聞いても同じだろう。
「自殺でびっくりしたよ。私のクラス、全然いじめとか無かったし……。」
「無視とかされてた訳じゃないんだな?」
「うん。授業中とか、必要な時は普通に話してたし。修人君と同じで、周りに積極的に干渉しないタイプかな。」
(干渉しないか……。)
「でも、ちゃんと友達居たんだね。賭希君は大丈夫そう?」
「…………ああ、心配無いだろう。」
(友達か……。)
坂力はどう思ってたんだろうな……。
「これ、藤鍵が警察から聞いたっていう遺書の内容なんだが、意味がよく分からなくてさ。心当たりないか?」
俺は遺書の内容を書いておいた紙を麗蓑に見せた。
「…………怪物?」
「何か気付いたことがあったら、小さなことでもいいから言ってくれ。」
「怪物……。坂力君の着てる服とか?」
「服?」
「そう、全体的に怪物って感じのデザインだったよ。TシャツにはMONSTERって書かれてたし。」
(MONSTER……。坂力の趣味……。)
「好きだった訳か。そういう感じのものが。」
「じゃない? この学校って私服OKだから、個性出るよね。」
「……。ここに書かれてる怪物とは、あんまり関係無い気がするな。」
「ははは……そうだね。」
「じゃあ、最後にもう1つ……。」
と、そう言ってズボンのポケットに手をやったところで、俺は思った。
あのメールは見せない方がいいだろうと……。
「あぁいや、やっぱもういい。」
「え?」
麗蓑は関係無い、巻き込むべきじゃないと思う。
「話、助かった。早く友達のところへ戻れ。」
俺は弁当を持って立ち上がる。
「ちょっ、待ってよ。」
去ろうとしたところ、麗蓑に服を掴まれた。
「おい、何だ……?」
「だって……気になる! 私も混ぜてよ。」
(混ぜてって……。)
「駄目だ。勝手に行動されても困る。」
「しないよそんなこと……!」
…………。
坂力のことを何も知らなかった俺が、坂力に近付いてあの変な悪夢を見始めてる。
正確な条件は分からないが、俺の所為で麗蓑が悪夢を見るようなことになったら……。
……なったら……。
なったら……ほんとにマズいか……?
「ねぇ、何隠してるの?」
「…………。」
……いい実験台になるかもしれない。
もうだいぶ話してるし、心苦しいが……この際、しっかり役に立ってもらうか。俺には必要だ。
「……分かった。見せる。」
俺は席に戻り、例のメールを開いた携帯の画面を麗蓑に見せた。
「えっ? 何これ。」
「昨日の朝、送られてきた。悪戯だと思うんだが、お前はどう思う?」
「警告……。危ないってこと……? 坂力君の事件を調べるの……。」
「…………。」
このメールの送り主について確実に言えることは、俺のメールアドレスを知っているということだけ。
悪意か善意か、偶然か必然かは不明だ。
仮に善意で送ったとするなら、この送り主は悪夢のことを知っている可能性があるが……。
俺がこんな内容を見てビビると思っているのだろうか?
悪意の可能性が高い以上、返信はできない。
さて――
「あっ。」
「んっ?」
俺が携帯を回収しようと手を伸ばすと、麗蓑が声を上げ、何か操作し出した。
「おい、何やってる?」
「何で私のメールアドレス削除されてるの?」
「…………。」
まぁ、バレて当然か。
「いや……もう使わないと思ったから。」
「登録しておくよ。いいね?」
「ああ……。」
その方が都合が良いだろう。
「あ、また家、遊びに行ってもいいよね?」
……それは都合が悪い。
「できれば来ないでほしいんだが……、他に友達居るだろ。」
「あれは馴れ合いっていうか……、知ってるでしょ。」
どうやら、未だに遠慮なくゴロゴロしながらゲームできるのは俺の家だけらしい。
それだけ信頼してくれているというのは嬉しいが……。
……。
(悪いな、麗蓑。)
お前が俺を利用するなら、俺もお前を利用する。
■
PM9:00 六骸家二階・六骸 修人の部屋
「…………。」
時間が経つのは早い。
学校から帰宅し、勉強と食事、風呂を終えればもうこんな時間だ。
(これからまた悪夢が始まるのか……。)
ベッドに横たわった俺は、天井を見つめながら昨日と今日の悪夢を思い出す。
最初は化け物になった坂力に追いかけ回され、次は羽アリ地獄。
2回目は、坂力が全く関係無くなっている。
「はぁ……。」
悪夢から何もヒントを得られないのなら、望みは坂力の隣の部屋の住人だけになる。
こんなこと周りに相談しても病人扱いだし、早いとこ何とかしたい。
場合によっては予定を繰り上げることも考えよう。
「…………。」
もし……どういう理由かは分からないが、俺が坂力に恨まれていて、俺だけにこんな現象が起きているとしたら……。
ふざけるな……そう言いたい。
(あんな理不尽に押し潰されて堪るか……。)
俺は布団を被り、目を瞑った。
例え再び地獄に落ちることになろうとも……必ず帰ってくる。そう誓って――。
(Episode 2 ―― End)