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ホラー小説『死霊の墓標 ✝CURSED NIGHTMARE✝』第5話「追跡者の地下水道」(3/5)

 

 

 

 

 

 

 

 ある逃亡者の手記

 

 

 

 …………人は皆、追われている。

 

 生き続けている限り、その身には多くのものがつきまとう。

 

 人種、性別、思想、身分、どのような人物であろうと、例外は無く――

 

 我々は常に追われる者。その立場から逃れることはできない。

 

 

 ………………。

 

 

 我々を深い絶望へと誘う、最も恐ろしき追跡者。その名は《XX》という。

 

 

 それは幾つもの顔を持つが、本質はどれも変わらない。

 

 決して我々を見失わず、決して歩みを止めることはなく、最後には必ず我々を追い詰める。

 

 私は日々、迫りくる彼らに怯えながら過ごしているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二・序章《流刻》

 

 

 

 最初に覚えたのは、凍えるような寒さだった。

 

 全身が酷く冷えていて、まとわりつく空気はとても湿っている。

 

 

 「う…………。」

 

 

 息苦しく、だが、呼吸をしようとした瞬間、不快極まりない下水の臭いが鼻を突く。

 

 これは何なのか……。

 

 気持ち悪い……。気持ち悪い……!

 

 強烈な刺激にうなされ、たまらず藤鍵・・ 賭希・・は目を覚ました。意識を取り戻したことで、不快感は更に増していく。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 慌てて上半身を起こす。

 

 すると、髪からぽたぽたと水が垂れ、水面に落ちた。

 

 

 「うわっ……。」

 

 

 一瞬、寝ぼけて風呂かトイレに頭を突っ込んでしまったのではないか。そう思い焦ったが、周囲を見回し、もっと深刻な事態だと悟る。

 

 

 「え……?」

 

 

 そこは、明らかに自分の家ではなかった。

 

 暗く静まり返った空間。濡れた石の壁と、足元に広がる濁った水。

 

 例え、寝ぼけて歩き回っても、こんな場所に来てしまう筈はない。

 

 

 (何処だ……? ここ……。)

 

 

 手元には明かりがあり、とりあえず何も見えないといったことはなく、下水道のような場所であることが分かる。

 

 藤鍵は濡れた自分の体の臭いを嗅ぎ、顔を歪めた。

 

 

 (う、最悪だ……。)

 

 

 いつからこんなところで寝ていたのか。流れる汚水が完全に服に染み込んでいて、ぐちゃぐちゃだった。この事実だけでもう泣きたくなる。

 

 藤鍵は服の濡れた箇所をできるだけ絞りつつ、壁際に寄った。体温はだいぶ下がっており、体は震える。

 

 

 (はぁ……はぁ、落ち着け……。

  こういう時、修人なら……)

 

 

 目を瞑り、憧れの友の顔を思い浮かべる藤鍵。彼のように冷静に状況を分析しようとする。

 

 

 (えっと……、ここは地下水道……? 何でこんな場所に……)

 

 

 夢であると思いたいが、意識の鮮明さがその可能性を否定してくる。

 

 彼の持つ常識では、ここまでリアルな夢などあり得なかった。

 

 

 (何だよこれ……。)

 

 

 いつの間にか、左手首に巻きついていた腕時計は、全体から青い光を放っている。

 

 ローマ数字の描かれた文字盤に、XIIを指して動かない三本の針。

 

 時計としての機能は壊れているのか。ただただ周囲を不気味に照らしている。

 

 

 「………………。」

 

 

 自分の物ではなく、とても怪しいが、この状況では外す気になれない。

 

 藤鍵は左腕を構え、もっとよく周囲を照らしてみた。

 

 光の強さはスマホのライトより弱く、照射距離は3mといったところ。かなり心許ない。

 

 

 (そうだ、携帯……)

 

 

 急いでポケットに手を突っ込んで探すが、何も入っていない。水に浸からなかったのは幸いだが……。

 

 そこで藤鍵は、布団に入った時と服が違っていることに気付いた。パジャマから普段着に。

 

 

 (いつの間に着替えたんだ……?)

 

 

 記憶を辿るが、覚えはない。考えれば考えるほど分からなくなっていく。

 

 

 (……とにかく、出口を……。)

 

 

 不安に駆られた藤鍵は、足早に通路を進んだ。何処だか分からないが、来れたなら帰ることもできる筈だと考えて。

 

 しかし――歩き出して間もなく、腕時計に異変が起こり、藤鍵は立ち止まった。

 

 青から赤に。何の前触れもなく、光の色が変わったことで、藤鍵は困惑する。

 

 

 (な……、何もいじってないぞ……?)

 

 

 しかし、明らかにマズい色。警告色。何らかの危険が迫っているということは、察しがついた。

 

 すぐに周囲を見回し、備える。

 

 すると、先程まで自分が寝ていた場所から音がすることに気が付いた。水面に波紋が広がっている。

 

 注視していると、やがてそれはゴボゴボという泡立ちに変化し、段々と何かが盛り上がり、そして勢いよく起き上がった……!

 

 

 《ザバァッ!!》

 

 「……!!」

 

 

 背筋が凍る。

 

 浅い筈の水の中から、ドロドロとした汚物に塗れた何かが現れた。

 

 藤鍵はゆっくりと後ずさりながら、出現したそれを目に焼き付ける。顔は恐怖で引きっていた。

 

 

 《オ……オ……オォォ……》

 

 

 生き物なのか。

 

 人型の汚物の塊は、声らしき音を発しながら、ドロドロの体を引き摺って、こちらに向かってきた。強烈な悪臭。

 

 

 《オォエェ……!!》

 

 「………………。」

 

 

 ちょうど口に当たる部分からドボドボと何かが吐き出される。

 

 それが一体何であるのか。考えたくはない。

 

 

 (吐きたいのはこっちだ……。)

 

 

 心の中で突っ込みつつ、藤鍵は鼻を手で覆った。しかし、その手もまた臭い。

 

 

 (くそ……。)

 

 

 堪らず藤鍵はその場から逃げ出した。これ以上、接近を許すと鼻が曲がるどころじゃ済みそうにない。

 

 藤鍵は足元に気を付けながら、狭い通路を進んだ。

 

 ところどころ汚れで滑りやすくなっており、走ることはできないが、幸い怪物の動きは遅く、追い付かれる心配はない。

 

 だが――

 

 

 「…………!」

 

 

 行く先は閉じられていた。

 

 通路の途中には重く硬い鉄格子が下りており、人が通れる隙間は無かった。

 

 

 (やっば……!)

 

 

 完全に罠。藤鍵は鉄格子を掴み、呆然とする。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 前後に振ろうとしてもビクともしない。

 

 

 (マズい……。)

 

 

 距離は離したが、怪物が確実に迫ってきているのは水の音で分かる。

 

 何かないか……。

 

 藤鍵は腕時計のあちこちをいじってみた。

 

 光を当て続けたら消えるとか。隠された機能があって武器になるとか。この状況を打開できる何かがないか探す。

 

 しかし、何処を押しても変化が無い。

 

 分かったのは、短針がIIを指していて、時間の進みが異様に早いことだけ。

 

 どうやら秒針が一周すると、短針が一気に五分進む仕組みになっているようだ。

 

 

 (タイマーなのか……?)

 

 

 藤鍵は一つの発見に気を持ち直す。

 

 ――が、分かったところで一体何の役に立つのか。

 

 

 《オ……オォ……オォ……》

 

 

 怪物は背後の暗闇から確実に迫ってきている。打開策を思いつくのが先か、追い付かれるのが先か。

 

 藤鍵 賭希は果たしてこの状況下で焦りに負けず、最良の選択ができるのか。

 

 幸運なのは、どんな方法も先延ばしにしかならないということが、彼の頭に無いことだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ~ Another Side ~

               -??? ??―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あー!! もう!!」

 

 

 一方、その頃――別の場所では一人の女子高生が、怒りのあまり声を上げていた。

 

 通路の途中でしゃがみ込む彼女の体は、頭の天辺から足の先までぐっしょりと濡れている。

 

 ほんのりメイクの乗った顔も、明るく染めた髪も、指先にはめられたピンクカラーのネイルに、胸元の大きく開いた服、そこから顔を覗かせるブラやFカップ級の胸も、全てが汚水に塗れたとあっては台無しである。彼女が叫ぶのも無理はなかった。

 

 しかし……

 

 

 「最悪……! 最悪……! 最悪……! 最悪……!」

 

 

 目に涙をにじませながら、呪文のように呟きを繰り返している彼女。その姿は以前何処かで見たことがある。

 

 

 「最悪……!」

 

 

 そう、確か彼女はあの時もこんな風にキレていた。

 

 あの廃校の悪夢にて、ただただ状況に流され、その流れの中で運悪く命を落としてしまった哀れなギャル。

 

 彼女が何故ここに?

 

 あの時、彼女は首を刺された上に、内臓を引き摺り出され、殺された筈……。本来なら記憶を失い、続けて悪夢を見ることはない筈だ。

 

 しかし、彼女は今ここにこうしている。偽物ではなく、彼女は悪夢を見続けている。それは何故か?

 

 答えは一つ。彼女は、あの悪夢で死んではいなかった。

 

 正確には、一度死んで・・・・・その後・・・蘇っていた・・・・・のだ。

 

 

 ◆

 

 

 「…………!」

 

 

 あの時――、久丈くじょう 明日人あすひとの手により、心臓を人体模型の体へと移植された直後、彼女の意識は再び覚醒していた。

 

 人体模型と一つとなり、感覚を共有――。勝手に動く巨大な体に戸惑いながら、破壊される校舎と、逃げ惑う仲間達をずっと奥から見ていた。

 

 そして、六骸 裁朶の手によって人体模型が破壊される直前、彼女は目覚め、生き残ったのだ。

 

 幸か不幸か、人を食った感覚も、切り刻まれた痛みも、あの悪夢で体験したことはほとんど記憶に残らなかった。

 

 しかし、それでも……、強烈に焼き付いたものだけは、決して消えることはない。

 

 

 (修人……くん?)

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「………………。」

 

 

 ひとしきり感情を爆発させた後、美佐原みさはら 神子みこはおもむろに立ち上がった。

 

 左手首にはめられた、青い光を放つ腕時計を見つめた後、その光を頼りにしながら、服を乾かせる場所を求め、ふらふらと歩き出す。

 

 

 《バシャ……》

 

 

 わめいたところで状況は変わらないが、幾分かは気持ちが収まった。

 

 最近、嫌なことばかりが立て続けに起きていて、だいぶ心が荒んでいたから……。

 

 

 「はー……。」

 

 

 付き合ったイケメンが浮気性だったり、下校中に不審者に追いかけられたり、黒猫に横切られたり、誰かに呪われでもしたのかと思うほどの不幸の連鎖。そろそろ何か良いことが起きてほしい……。

 

 

 (もう一度、会いたいな……。)

 

 

 頭に浮かぶのは、中学の時、同じクラスだった男子生徒の顔。

 

 名前は六骸 修人。

 

 とっても強くて、カッコ良くて、頭も良くて……。他の子どもみたいな男子達よりずっと大人びていた。

 

 もし付き合えていたら、今頃、生主としてネットの人間に媚売って、承認欲求を満たすような惨めな毎日は送っていなかったかもしれない。

 

 …………でも、自分は友達にすらなれなかった。

 

 ずっと見定めるような目を向けられていて、明らかに下心を見抜いている目で、脈ナシだということは、ひしひしと伝わってきた。

 

 だから結局、傷つくのが怖くて、諦めてしまった。陽キャな男子達と頭を空っぽにして騒ぐ方に逃げてしまった。

 

 

 (ほんと馬鹿……。)

 

 

 今では後悔している。

 

 簡単に女子と付き合ったりするようには見えなかったのに、いつの間にかカースト上位の女子と仲良くなってるし、自分が馬鹿みたいだった。

 

 もし、あの子みたいに変わる勇気を持てていたら、こんな気持ちを抱かずに済んだことだろう。

 

 

 「………………。」

 

 

 思い出したらまたイライラしてきた。腕時計が放っている青い光の所為で余計に寒いし、猛烈に体を動かしたい気分だ。

 

 彼女は吐き気を催す空気を吸い込むことも厭わず、ひとつ深呼吸をし、両手の拳に力を入れた。

 

 

 「くっ……。」

 

 

 すると、どういうことか。彼女の拳から金属が飛び出てくる。

 

 歯を食いしばりながら痛みに耐えると、やがてそれは拳全体を覆う鋼のグローブと化した。正面から見ると、それはライオンの顔のような形をしている。

 

 

 (できた……。)

 

 

 はぁはぁと息を吐きながら、彼女は己の拳に出現した武器を見つめた。

 

 実に不思議なことだが、気付いたらこんなことができるようになっていた。ここが夢の中なら別に何ができてもおかしくはないが、できるというはっきりとした確信があったのだ。

 

 まるで当たり前のように、これが自分を守ってくれるものだということを感じる。

 

 

 (ほら……どっからでも来なさいよ……。ボコボコにしてやるから。)

 

 

 何となく酷い目に遭わされたという感覚はある。

 

 具体的な記憶はほとんど無いが、とても怖くて、ムカついた気はしている。

 

 美佐原 神子は力に屈するような性格ではなかった。やられたらやり返すではないが、変な男に絡まれても対処できるよう、小学生の頃、格闘技を習っていたことがある。武器無しでの戦いでは男にも負けない自信があった。

 

 しかし、相手が同じ土俵に上がってきてくれることは稀だ。

 

 

 《バシャアッ!》

 

 「…………!」

 

 

 先程まで自分がいた場所から何かが飛び出した。

 

 すぐに腕時計の光を向けると、そこには自分と同じ背丈の人間――汚物を身に纏った人型の怪物が立っていた。

 

 

 (マジ……?)

 

 

 こんな場所だから嫌な予感がしていたが、当たらなくてもいいじゃんと、美佐原は後ずさった。

 

 あんなものを殴ったら絶対汚れる。そもそも、触れて大丈夫なのか。

 

 

 《オ……オォ…………オ……》

 

 

 怪物が出現すると同時に、腕時計の光が青から赤に変わり、時を刻み始めた。

 

 だが、その意味を理解する暇など無く、美佐原 神子は走り出した。

 

 あれと戦うことは決して不可能ではないが、また体が汚れるのは我慢ならない。美佐原は狭い通路の奥へと逃げていく。

 

 

 「うらぁっ!!」

 

 

 その途中、行く手を阻む鉄格子は、鋼のグローブを纏わせた拳で粉砕する。

 

 錆びていた御蔭か、何度か殴りつけると、ヒビが入り、通れるだけの隙間を作ることができた。

 

 

 「っし――」

 

 

 威力十分。自分の力が見かけ倒しでないことをしっかりと確かめられ、気分が上がる。こんな悪夢なんか屁でもない。

 

 だが、そう思ったところで、力ではどうしようもない状況に直面する。

 

 

 「うわっとと……、えっ?」

 

 

 通路の奥には、下へと続く丸い穴が開いていた。光を当てても底が見えず、どの程度の深さなのか分からない。

 

 

 (これ落ちて大丈夫なやつ……?)

 

 

 マンホールほどの狭さで、壁面にはびっしりと汚物がこびり付いている。手を突いて、スピードを緩めるといったことはできなそうだ。

 

 

 《オォ…………オ……オ……》

 

 

 後ろからは例の怪物が迫っている。

 

 あれを強引に退けて進むか、それともこの穴の先に進むか、選べる道は二つ――

 

 

 「っ……。」

 

 

 無意識に胸元に手が伸びる。

 

 美佐原 神子は、首に下がっているロケットペンダントに触れ、しばし考えた。

 

 これは子どもの頃に親に買ってもらった、魔法少女アニメのグッズに過ぎないが、デザインが結構しっかりしていて、安物には見えないので気に入っている。

 

 実は、これの背面にはスイッチがあり、押すと宝石の色が白か黒か、50%の確率で変わる仕掛けがある。

 

 彼女は意外にも霊や神の存在を信じているタイプであり、昔から悩んだ時は、よくこのペンダントの導きに頼っていた。

 

 

 (穴に入っていいか……。どっち?)

 

 

 いつも通り、ボタンを押し、結果に従おうとする。

 

 だが、彼女は覚えていない。

 

 中心のにするか、端のにするか……、廃校の悪夢の時、ペンダントに従った結果、腹を切り裂かれることになったということを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ L i t t l e  N i g h t m a r e ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を閉じている…………

 

 皆、目を閉じている…………

 

 まるで眠っているかのように…………

 

 心の無い人形であるかのように…………

 

 誰もXを見ようとしない…………

 

 

 

 

 

 …………。

 

 だからこれは……、誰も知らない筈の物語。

 

 泡沫うたかたの如く、儚く消えていく筈の物語。

 

 この世界に何も残らない、ただの夢……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、地下水道の悪夢での一幕。

 

 通路を徘徊するモノから逃れ、一人の女性が物陰に身を潜めていた。

 

 肩で息をする彼女の左腕は既に無く、夥しい量の血が傷口から零れ落ち、水の中へと吸い込まれていっている。

 

 

 「はぁ……はぁ……。」

 

 

 彼女の意識は、まだはっきりとしていた。

 

 傷口を押さえ、激痛に耐えながら、青い光を放っている右手首・・・の腕時計に目を落とす。長針はI、短針と秒針はXIIを指して動いていない。

 

 

 (…………。そういうこと・・・・・・か……。)

 

 

 何かに気付き、苦々しい表情で目を閉じた彼女は、壁に背を預けたままゆっくりと立ち上がり、物陰から顔を出した。

 

 姿は見えど、水の音でまだ近くにいることは分かる。

 

 先程、自分を襲った怪物はもう何処かへ行ったようだが、人型のものはまだ数体残っているようだった。

 

 彼らに見つかると、腕時計の光は赤くなり、カウントが進む。慎重に行かなければ……。

 

 女性は止血を終え、深緑のキャップを被り直すと、出口を求め、何処まで続いているかも分からない、悪臭漂う通路を進んだ。

 

 だいぶ血が流れ出た筈なのに、眩暈めまいもしない自分の体に違和感を覚えるが、よくない想像は頭の奥に押しやり、ここから無事に出ることを考える。

 

 

 《オォォ……オ……》

 

 「…………!」

 

 

 ゲップのような音が聞こえたら、すぐに立ち止まり、息を殺す。

 

 また奴らだ――

 

 水の中から突然現れ、ゆっくりと追跡してくる人型の汚物の塊。

 

 こうやって腕時計が青く光っていても、全く反応する気配がないことから、連中に恐らく目は無いのだろうが、それなら一体どうやってこちらの気配を察知しているのか。

 

 しゃがみ込み、しばらく様子を窺っていると、怪物の声は段々と遠ざかっていって、聞こえなくなった。

 

 

 「ふぅ……。」

 

 

 ほっと胸を撫で下ろす。

 

 他の怪物が立てた水音にも反応している様子がないので、きっと音を聞いている訳でもないのだろうが、確信はできない為、声を出す気にはなれない。こんな異常な場所に誰かが助けに来てくれるとも思えなかった。

 

 

 (大丈夫……まだ……。)

 

 

 己を鼓舞しつつ、何度目かも分からない角を曲がり、また真っ直ぐ伸びた通路を進んでいく。

 

 つい癖で腕時計を見てしまうが、その針は動いていない。今は一体何時なのだろう。

 

 頭の中に仕事のことや、様々な疑問が浮かんできてはぐるぐると渦を巻き、解消されない気持ち悪さと、通路に充満している悪臭が合わさり、吐き気が込み上げてくる。

 

 このまま帰れなかったらどうしよう……。

 

 

 「うっ……。」

 

 

 口に手をやり、胃から込み上げてくるものを何とか押し戻す。

 

 

 「はぁ……。」

 

 

 体力の消耗を抑える為にも、出す訳にはいかない。これ以上の失敗は……

 

 だが、顔を上げると、そこにはまたしても障害が現れる。

 

 また鉄格子――

 

 また行き止まり――

 

 幾ら歩き回っても無駄だと言わんばかりに、硬く冷たく立ち塞がっている。

 

 

 (どうして……。)

 

 

 体をぶつけるが、ビクともしない。

  

 あの怪物達ならここを通り抜けられるようだが、自分にはどうしようもないのか。

 

 

 「っ……。」

 

 

 何処かにこれを開けられる仕掛けでもあれば話は変わってくるのだが、それを探すだけの時間が自分に残されているとは思えない。

 

 

 (どうしたら……)

 

 

 引き返し、別の道を探す……。でも、その先はまた鉄格子で塞がれているかもしれない……。出口に繋がる通路が全て封鎖されていたら、終わりだ……。

 

 

 「……………。」

 

 

 いや、駄目だ。諦める訳にはいかない。

 

 依頼された仕事がまだそのままだし……失敗の責任は取らなくてはならない。所長に迷惑だけは……。

 

 そう思い、鉄格子に背を向け、再び歩き出した。

 

 その時――

 

 

 《バシャッ》「っ!?」

 

 

 すぐ近くで水の跳ねる音がし、体が青い光に照らされた。

 

 後ろを振り返ると、誰かが鉄格子の向こう側に立っていて、こちらに腕時計を向けていた。

 

 

 「ん? そこに誰かいるのか?」

 

 

 男の声だった。人間の声……。

 

 

 「あっ、たっ……。」

 

 

 すぐに助けを求めてしまいそうになったが、気付いて踏み止まる。簡単に信用するのは危険だと思った。もっとよく観察してから……

 

 

 「…………。邪魔だな……。」

 

 

 男は鉄格子を掴み、動かせるか試した後、近くに来るよう指示してきた。

 

 警戒しながら近付く。顔を見る限り、どうやら歳は若そうだが……。

 

 

 「その腕は……?」

 

 「あぁ……、さっき怪物に襲われて……。」

 

 「…………。」

 

 

 少年は少し考えた後、鉄格子から距離を取った。

 

 

 「ちょっと離れてくれ。試したいことがある。」

 

 「え……。」

 

 

 少年の狙いは分からなかったが、言われた通りに鉄格子から離れる。

 

 すると彼が何かをしたのか。彼の方から炎が噴き出してきて、鉄格子を飲み込んだ。

 

 

 (何……?)

 

 

 青い光の所為でよく分からないが、明るさや色合いから、普通の炎ではない気がした。

 

 しかし、その普通でない炎は、現状に何の変化ももたらさず、消えてしまった。

 

 

 「やっぱり駄目か……。」

 

 

 鉄格子は変わらずそこにある。

 

 

 「これはどうにもならないみたいだ。

  一応、重要なことだけ伝えておく。」

 

 

 少年はそう言って、再度鉄格子に近付いた。

 

 

 「ここは夢の中だ。俺は何回か経験してるから分かるが、あらゆることがリアルに感じられても、それは気の所為だ。時間が来れば、普通に目が覚める。」

 

 「ほ、ほんと……?」

 

 「ああ、信じていい。俺の体から炎が噴き出したのが証拠になるだろ。」

 

 

 確かに、道具無しに出せるものじゃないけど……。

 

 

 「夢の中だから、普通じゃない力が使えたりもする。

  後、ここでは恐らく一人で行動していれば、死ぬことはない。誰かに見られている場合は危ないから、俺はすぐにここから離れる。」

 

 「え、ちょっと待って、どういうこと……?」

 

 「詳しくは説明してやれない。

  最後に名前と、何処に住んでるのかだけ教えてくれ。職場でもいい。」

 

 「え、あ……冴草さえぐさ 見張みはる……。浅夢市の……サーカ・ディアンっていう探偵事務所で働いてて……。」

 

 「探偵……?」

 

 

 珍しい職業だからか、少年は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに元の落ち着いた表情に戻り、話を続けた。

 

 

 「じゃあ、俺はもう行くので。

  とにかく凌ぐこと、生き延びることを考えて。」

 

 「あ……。」

 

 

 少年は急いでいるのか、すぐにきびすを返し、鉄格子の先の通路の奥へと消えていってしまった。

 

 質問させてもらえなかったが、一体何者なのか。信じていいのだろうか。

 

 

 (これが夢……。)

 

 

 確かにそれならば、色々納得できることは多いが……、当てにはできない。自分で確かめるまでは。

 

 だから……やっぱり、出口は探そう。

 

 冴草はひとまず分かれ道まで引き返すことにした。

 

 先程まで不安で胸がいっぱいだったが、少年の話で少し希望が持て、足取りは比較的軽い。何より一人じゃないと分かったことは、精神的に支えとなった。

 

 

 (あれ……?)

 

 

 そんな時、先の方にまた青い光が見えた。自分と同じ腕時計の光。

 

 もしかして、あの少年が回り込んできたのだろうか。特に水の音は聞こえなかったが……。

 

 足を止め、観察するが、向こうはじっとしていて動かない。

 

 

 「誰……?」

 

 

 近付いていくと、こちらに気付き、それ・・は振り返る。

 

 

 「え……。」

 

 

 姿を見て、思わず、声が出た。

 

 腕時計の青い光に照らされ、暗闇に青白く浮かぶそれは、自分と全く同じ姿・・・・・・・・をしていたから。

 

 

 「っ……!」

 

 

 一瞬、鏡かと思ったが、全然違った。

 

 服装に顔――そして千切れた腕まで瓜二つ。

 

 彼女は、口元に薄く笑みを浮かべ、どんどんこちらに近付いてくる。

 

 後ずさるが、後ろにあるのは鉄格子。行き止まり。逃げることはできない。

 

 あんな明らかに追い付かれたらマズそうな……

 

 

 「……! たっ、助けて!!」

 

 

 冴草はできるだけ大きな声で叫び、先程の少年に声を届けようとした。あの炎なら、もしかしたら、あれを何とか撃退できるかもしれないと期待して。

 

 だが、幾ら叫んでも少年は戻ってこなかった。名前も聞けなかった謎の少年。

 

 もう遠くに行ってしまったのか、それとも、話を聞いてもう用済みと判断されたのか。

 

 腕時計の光は真っ赤に染まり、危険を伝えてくる。

 

 

 (自分で……何とかするしか……。)

 

 

 もし少年の言った通り、ここが夢なら丸腰でも何とかできるかも。

 

 例えば、銃を出したりとか……。いや、流石にそんなのは扱ったことがないので出てこられても困る。ここの怪物に効きそうにないし……。

 

 自分が得意なのは……そう、戦いじゃない。せいぜい隠れることくらいだ。尾行や監視対象に見つからず、依頼を達成する。いつもやっていることだ。

 

 逃げ場がないこの状況では、技術の発揮しようがないが……

 

 

 (何かないの……?)

 

 

 もっと自由に発想を。例えばこの壁が隠し通路になっていて、中に隠れることができるとか。そんな都合の良い展開だって全然……

 

 

 《ザバァッ!!》

 

 「えっ……?」

 

 

 そんなことを考えた瞬間、突然、水の跳ねる音がし、目の前が何かに覆われた。

 

 いや、そうじゃない。全身が何かに包まれた。

 

 

 (ちょっと……何これ……。)

 

 

 閉じ込められた?

 

 両手を広げ、壁に手を突いてみる。表面は汚れが無く、つるつるしている。

 

 特に害は無さそうだが……

 

 

 《ゴンッ……》

 

 「……!」

 

 

 狭く、出ることもできない為、自分のドッペルゲンガーに追い付かれてしまう。今、この壁の向こうにいるのか、腕時計はまだ赤い光を放っていて、危機が去っていないことを知らせてくる。

 

 

 《ゴンッ……ゴンッ……ゴンッ……》

 

 

 一定の間隔で行われるノック。

 

 得体が知れず、不気味であったが、自分を覆っている壁は堅牢で、段々と恐怖心が和らいでくる。

 

 このままじっとしていれば、大丈夫かもしれない……。言われた通り、凌いでいれば……。

 

 と、そんな思いが心を満たし始めた時――

 

 

 《ザバァッ!》

 

 「っ……!?」

 

 

 突然、目の前にドロドロの何かが現れた。

 

 一瞬、脳が理解を拒むが、伸びてきた手に首を掴まれ、嫌でも存在を認識させられる。

 

 

 「ぁっ……くっ……。」

 

 

 気道が圧迫され、酸素の供給を絶たれそうになる。

 

 このままではマズいと必死に抵抗するが、こちらの体が地面を離れるほど相手の力は凄まじく、意味を成さない。

 

 

 (何で……)

 

  

 一人で行動していれば安全じゃなかったのか。

 

 嘘を教えられたのか。だとすると、ここが夢だというのも嘘なのか。

 

 冴草は薄れゆく意識の中、考えるが、少年の所為にしたところで何にもならない。結局、油断した自分が一番悪いのだ。

 

 

 (すいません、所長……。)

 

 

 意識を失う直前、冴草 見張は師の顔を思い出し、謝る。

 

 だがこの時、これで責任から永遠に逃れられる・・・・・・・・・・・・・・・と安堵する気持ちも、僅かに生まれていたのだった。

 

 死は良くも悪くも、その人間に纏わりついているものを綺麗に洗い流していく……。

 

 

 「ニャアアアァァ!!」