三・鍵ノ章《沼男》
「はぁ………はぁ………。」
………………失敗はできない。
………………間違いは許されない。
そんな思いに支配されたのは、一体いつからだったろう……?
今はもう事細かに思い出せない過去の記憶――
黒過ぎて振り返りたくはないが、結局、親が悪いってことになるんだろうか?
(責任は……。いや……)
それでも才能があれば……、才能さえあればこうはならなかった筈だ。
同じ境遇でも強く生きられる奴はきっといる。だけど、俺はおかしかった。駄目だった。
失敗するのが
そんなだったから、俺はいつも堂々としていて、迷いなく行動できる修人に惹かれた。心の底から憧れた。そんなあいつと話せる仲になれたことが嬉しかった。
修人はいつも上手いやり方を教えてくれて、修人が「それでいい」「大丈夫だ」と言ってくれるだけで、俺は救われた。自分に自信が持てた。
家では父さんも母さんも厳しくて、滅多に褒められることがなかったから。
ああ……そうだ。これくらいできて普通、それくらい分かるだろ、なんて何度聞いたか分からない。
失敗したら叱られて、罰としてゲームを隠されたり、誕生日に何も買ってもらえなかったり、酷い時は殴られることだってあった。
今はそんなことはされなくなったが、修人に出会う前は、ほんと苦い思い出ばかりだ。
「……………。」
もうあんな思いはしたくない。
修人や坂力の御蔭で人並みの能力は手に入れることができた。どうあがいたって羊が狼になれないのは仕方がないが、後もう少しで一段上に届きそうなんだ。
《オォォォォ……》
振り返ると、もうすぐ傍まで怪物が来ている。逃げ場は無し。立ち向かうしかない。
(くそ……。)
こんなところで終わりたくない。
修人の手助けをして、俺は自分が誰かの役に立てる人間だってことを証明する。
人並みじゃ駄目だ。代わりの利くような人間に価値は無い。修人という優秀な人間の役に立ってこそ、得られるものがある。
俺が自分自身を認められる。
だから――
「っ……。」
怒りで無理矢理恐怖を紛らわし、力強く足を踏み出す。
こんな方法しか思い付かなかったが、どうか上手くいってくれ――
頭の中で祈りながら、怪物に向かって一直線に走っていく。
このまま強引に突破する――!
《オォォォォ……!!》
平気だ。
ほら――よく見たらあいつ弱そうじゃんか。全身ドロドロで、体当たりしたら簡単に崩れそうだ。
そりゃ体は汚れるかもしれないけど、勢いよく突っ込めば、纏わりつかれずに済む筈――
僅かな時間。頭の中で最良の未来を思い描く。そうなってほしいと心の底から願う。
だから、突然目の前に降ってきた幸運に、酷く戸惑うことになった。
《バシャアアアアァァン!!》
「ぬわっ!!」
天井から落ちてきた大量の汚水と汚物が怪物を押し潰し、周囲へと拡散。
少し服にかかったが、ブレーキが間に合い、突っ込まずに済んだ。
(な、何だ……?)
上から何かが降ってきた。
《ぅ……ァア……》
見てみると、汚物の中で何かが
また人の形――
別の怪物かと思ったが、腕の部分から青い光が漏れている。そして自分の腕時計の光も青に戻った。
危険はないのか……?
そうであってほしいと願いながら、様子を見ていると――
《ぷっ……ぺっ、ぺっ……!! うぇ……!!》
汚物から女の子の声が聞こえた。
「え……。に……?」
「誰?」
向こうもこちらに気付いたようで、声をかけてくる。
何だこれ。どう対応したらいいんだ?
女の子だとしたらだいぶ悲惨な状態だし、気を遣った方がいいのか。
それとも警戒して逃げた方がいいのか。
「あっ……と……。」
「もうマジ最悪……。」
何か話そうと考えるが、言葉が浮かんでこない。
女の子は可能な限り、纏わりついている汚物を手で落とすと、閉じていた目を開いてこちらを見た。
「あんた敵? 味方? どっち?」
「いや、俺何も知らないし、そんなこと急に聞かれても――」
「はぁぁ……。」
思いっきり溜息を吐かれてしまう。
しかし、呆れられた訳ではなく、自分の惨状を嘆く気持ちの方が強そうだ。そう思いたい。
「とりあえず化け物じゃないならいいや。
一緒に安全な場所探して。」
「それは……まぁいいけど……。」
こっちだって仲間は多い方が安心だ。
けど、いきなり天井の穴から降ってきた汚物塗れの人間を簡単に信用できるか? していいのか?
「名前は……?」
「は? 言う必要ある?」
「いや……。」
修人だったら、相手の言葉遣いや仕草から嘘を読み取ったりできるかもしれないけど、俺には無理だ。暗いし、汚れてるしで余計に分からない。
ギャルっぽい女の子は、一度胸の辺りに手をやった後、鉄格子の方へと歩いていく。
「あ、そっちは――」
《ガァン!!》
止めようとしたが、声が大きな音に遮られる。
どうやら女の子は手に何かをはめているようで、鉄格子を思い切り殴り始めた。
見ていると、恐ろしいことに段々とひしゃげていき、やがて通れるほどの隙間ができる。
「それ……何だ?」
「神様がくれた力。」
「へ?」
思わぬ返答に、一瞬、思考が止まってしまう。神様?
「何? この夢の中で怪物から守ってくれてるの!」
「夢……?」
ちょっと待ってくれ、混乱してきたぞ。ここは現実じゃないって?
(いやいやいや、こんな意識がはっきりしてるのにそんな訳ないだろ。)
試しに体を
「あの。神様ってのは?」
「私の神様。別に信じなくていいけど。」
駄目だ。変わった子過ぎる……。ついてって、大丈夫なのか……?
だいぶスピリチュアルな匂いというか、これがたまにネットで見かける
でも、鉄格子を壊す力を持ってるんだよな。
危ないところを救われたのは事実だし、頼りにするのもアリか……。
◆
それからしばらく二人で怪物から身を隠しながら、通路を進んでいった。
先程のドタバタで強い衝撃を与えれば倒せることが判明した為、脅威は薄まったが、謎の腕時計のこともあり、まだ何となく怖い。警戒を緩めてはいけないと思った。
「はぁ……。何処まで続いてんの、これ。」
鉄格子を壊すのも疲れてきたようで、女の子はその場に一度しゃがみ込む。
「確かに……地下水道っていうか、迷路だよな……。」
ぐるぐる回ってはいない筈だが、さっきから景色が全く変わらない。この分だと安全な場所とか存在しないんじゃないか。夢だとするなら何処に居ても危険度は変わらない気がする。
「時間が経てば起きれるなら、下手に動いて体力を消耗するより、この辺りでじっとしてた方がいいんじゃないの?」
「まぁそうなんだけど……。
逃げてばっかは悔しいっていうか……。」
「ストレス発散なら別の機会にやってくれ……。」
もういい加減、鼻がおかしくなりそうだ。ここでじっとして口で呼吸をすることに集中したい。
「あ?」
だが、座ろうとしたところで、また腕時計の光が赤くなった。近くに敵がいる。
「何処だ?」
耳を澄ませてみるが、あの気味の悪い声は聞こえてこない。
ただ、ゆっくりとこちらに近付いてくる水の音だけが届いてくる。
「なぁ、向こうから何か来てる。」
「……あんた戦えないワケ?」
「武器さえあれば、やってるよ……。」
さっきから探してはいるが、使えそうなものが全然落ちてない。
情けないが、後ろに下がり、前方の闇を照らすことに集中するしかない。
《…………ざぶ……ざぶ……ざぶ……》
人間とは思えない重い足取り。
段々と姿が見えてくるが、やはり全身汚物に覆われている。
確認したので、すぐに逃げてもいいが、相方にそんな気は無さそうで、じっと拳を構えて敵が間合いに入ってくるのを待っている。
離れ離れになる訳にもいかないので、ここは付き合うしかない。
《…………ざぶ……ざぶ…………》
さて、一体どんなのが……
腕時計を構えたまま、怪物をよく観察する。
――と、そこで違和感を覚えた。
「…………は? え?」
人間――? というか、そっくりな……。
一瞬、見間違いかと思い、少しだけ距離を詰める。
「私?」
女の子も驚いたようだ。
全身汚れている為、細かなところまでは分からないが、顔は瓜二つに見える。
「あ。あの、先に言っておくけど、あたしが本物だから。」
「ん、ああ……。」
そう言われても信じ切ることができない。まだ会ってから10分も経ってないし、どっちも怪物っていうオチも全然あるよな。
(ドッペルゲンガー……。スワンプマン……。)
有名な怪異の名前が頭に浮かぶ。こうして出会った時、どう対処したら良いのか。
いや、出会った時点でマズかったような……。
「なぁ、逃げた方がいいんじゃね……。」
「ちょっと待って。」
女の子はまた胸の辺りに手をやると……何をしたのか、偽物に近付いていく。
(おいおい……。)
それは流石に警戒心無さ過ぎだって……。
すぐ逃げ出せるよう、こっちは後ろに足を回しておく。
「あんた誰?」
自分の偽物を恐れず、強気な質問をぶつけていく女の子。
相手は何も答えない。代わりにゾンビのように両腕を伸ばし、首を掴もうとしてくる。
「っ……!」
幸い動きが緩慢だった為、女の子は後ろに下がって逃れるが……、馬鹿――
「ふんっ!!」
貫いてしまった。拳で胸を。いきなりそんな場所を狙って大丈夫なのか。
――いや、駄目だ。嫌な予感は最悪の形で的中した。
「え、あ……?」
拳で貫いたのと、ちょうど同じ位置に穴が開き、女の子はその場に崩れた。
「おい……!」
言わんこっちゃない。ちょうど心臓の位置だし……。
(くそ……。)
失敗した。もっと強く止めるべきだったか。
いや、武器も無い状態で説得なんて無理か。
「かみ……さま……。これでいいの……?」
何か言ってるよ。
この期に及んでまだ神を信じてるのか。これだから非科学人間は救われない。
「………………。」
偽物はこっちを見向きもせず、女の子に覆い被さり始めた。
何をしてるのか。取り込もうとでもしているのか。
よく分からないが、腕時計の光はまだ赤い。カウントも進んでる。
(修人だったらこういう時……)
逃げるだろうな。ただ冷静にそう判断する。自分が助かることだけを考える。他人を助けるのは余裕がある時だけでいい。
(よし――)
それでいい筈だ。
自分にとって何が一番大切か。それがはっきりしていれば迷うことはない。
優先順位を間違えるな。
(そうだよな、修人……。)
悲しんだり、怒るのは後でいい。
俺は修人が言ってくれたことを思い出し、心を落ち着けながら走った。
これで駄目なら、諦めも付く。
四・修ノ章《沼蠅》
…………ひとつ、思い付いたことがある。
今まで何度となく感じては、真剣に考えようとはしてこなかったが……
これが「
それはこの世界を仮想現実だと捉えた時、考えられる可能性の一つでもある。俺はずっとこの悪夢からゲーム的なものを感じていた。
魔法のような特殊な力、際限なく湧き出る怪物、そして最後に出てくる強敵。
寝ている間に体験しているから、当然、夢の中――。これまでずっとそう思ってきた訳だが、その前提がもし間違っているとしたら? あらゆるものの見方が変わってくる。
例えばこの体――
これが現実の肉体そっくりに作られたアバター、偽りの体だとするなら、傷ついても当然、現実の肉体にダメージがいかないのは納得できる。
五感については、例えばフルダイブ技術――。仮想空間内に五感を接続するような技術があれば、現実とほとんど変わらない体験が可能だ。
当然まだそんな技術の開発に成功したという話は聞かないが、仮に実現したとして、それがすぐさま世間に公表となるかについては疑問がある。俺達の知らないところで、既に完成している可能性は否定できない。
そうするとだ。
俺は何らかの方法で、このゲーム世界に来ている。自動的にログインしていることになる。
そのきっかけとは……、裁朶姉が聞いたという坂力の話を信じるなら、
何かとは具体的に何なのか?
言葉なのか、映像なのか……?
いずれにせよ、それが鍵。ログインの為のパスワードになっていて、それを持って寝ることで、この世界にログインし、朝になると強制ログアウトで目が覚める。
死んだ場合は、悪夢に関する記憶が消える為、パスワードが失われる。そうなると、再度ログインする為には、再びパスワードを取得する必要がある。
それはいいのだが……、この"記憶が消える"という部分。
これはゲーム的に言えば、"セーブデータが消える"ということだが、何でそんな仕様になっているのか。
死んだら最初から? 古いゲームならそもそもセーブ機能が無いから……
(ん……?)
セーブ機能が無い……?
そもそも俺や坂力と違って、裁朶姉達は悪夢の情報を僅かしか記憶できていない。
セーブ機能はあっても、何らかの不具合があると考えるべきか? ゲーム的に言えば、バグだが、どっちが正常なのか。
全く同じゲームをプレイしていてセーブ機能に差があるという状態。
他に考えられるのは、チートツールの使用……。これなら本来ゲームに無い機能を追加できる。
後はゲームハードの違いとか……。
いずれにせよ、それが何であるかが重要だ。
正体……。形のあるものだとするなら、今のところあの黒猫が最も可能性が高いが……。
もしそうなら、坂力が黒猫をずっと傍に置いておいたのも納得……。
いや……、待ておかしい。
俺はあの黒猫とは目を合わせたくらいで、相当離れた場所で眠っている。
距離は関係無いのか、俺はまた別の理由で特殊な状態になっているのか……。
もし黒猫に力があれば、自由に仲間を増やすことができて便利なのだが……。
ちょっとファンタジーが過ぎるか……。
「ん……んぅ……。」
………………。
考えていたところで、
続きは話を聞いてからにしよう。
◆
数分前――
通路を歩いている途中で汚れた猫を見つけた俺は、走り出したそれの後を追い、ドッペルゲンガーに襲われている彼女の元に辿り着き、上手く救出することに成功した。
しかし、かなりの力で首を絞められていた為、意識を失っており、仕方なく俺は財布に入っていた運転免許証から、名前や住所、生年月日を確認した。
一部は先程会った時に聞いたが、嘘を吐いてないか念の為だ。
「あの……ありがとう……。
助けてくれて。」
「……。その猫を追いかけてきたんです。見覚えは?」
言われて視線を下げる冴草さん。猫は先程から心配そうに彼女の体に身を寄せていた。
「え、ホメオス……?」
「飼い猫ですか?」
「あ……えっと、職場で飼ってる猫。」
それが何故かここにいる……。
一応、猫も人間と同様、寝ている間に夢を見るらしいが、言葉を話せないんじゃ、確かめることができない。
現実の存在か、夢の存在か。
前回の悪夢の中で明日人がゆっくりを生み出したように、冴草さんが生み出しているものという可能性はある。そこが厄介だ。
「あの……それで……ここのことなんだけど……。」
「…………さっきも言った通り、ここは夢なので、時間が経てば自然に目が覚めます。
一人でじっとしていれば襲われる確率は下がるので……」
「いや……ちょっと……、このまま一緒にいてくれないかな。私、腕がこんな状態だし……。」
「………………。」
まぁ、誰かと一緒にいる方が危険なんていうのは、俺の勝手な推測に過ぎない。面倒だが、確信を得るにはもっと検証を重ねる必要がある。
「分かりました。」
ただその代わり、色々と話を聞かせてもらいたい。
この悪夢に巻き込まれる人間には、住んでる場所以外に、性格や経験といった共通点があるのかないのか、確かめておきたいからな。
これまで何人かの人間と会って話をしてきたが、完全なランダムとは思えない。
とはいえ、どう切り出したものか……。
初対面でいきなりパーソナルな部分に踏み込むのは、ハードルが高過ぎる。必要なことだと正直に言うべきか。それとも記憶が保持されないことを良いことに、多少強引に聞き出すか。
いざとなると勇気が出ないな……。
「…………。さっきの怪物……、何だと思います?」
「ドッペルゲンガー……なのかな。分からないけど……、私と全く同じ姿をしてた……。」
「俺もそうだと思います。ドッペルゲンガーは喋らない。そして遭遇した人間は、近い内に死ぬ。
恐らくこの腕時計はそのカウントダウンでしょう。」
「あ……そういうことなんだ……。
一周したらマズいことには気付いてたけど……。」
「…………。腕を持っていかれたんですか?」
「持っていかれた……というか、
言いながら、無くなった左腕に目を向ける冴草さん。
「……とにかく奴らと出会ったら逃げるしかないですね。
自分の偽物を攻撃すると、ダメージが跳ね返ってくるみたいですから。」
実は彼女に出会う前、俺は自分のドッペルゲンガーに遭遇していた。数回の戦闘で性質を掴むことができたのは幸運と言えるだろう。
「他人が倒せば何も起きないみたいです。
だからここでは、二人で行動するのは悪い選択じゃありませんね。」
「あ……でも、ごめん。私、戦えないから……。」
「……………。」
そう。それが問題だ。戦えない人間を庇いながら生き残る自信は無い。
どうにか武器か能力か……、とにかく戦える状態になってもらわなければ。
「…………ドッペルゲンガーについては分かったけど、ドロドロの怪物達……、あっちは何なのかな。
目は見えないみたいだし、どうやってこっちの気配を……。」
「恐らく、
「え……。」
「多分、この水に浸かった人間の情報を読み取っているんでしょう。
なるべく触れる面積を小さくしておいた方がいいと思います。」
「……!」
聞いて、つま先立ちになる冴草さん。それで効果があるかは分からないが、何でも試してみるしかない。
「後は……。他に聞きたいこととかあります?」
「ええっと……。本物とドッペルゲンガーを見分ける方法は……。
ああ……喋らないのが偽物……で、いいんだよね?」
「本当にドッペルゲンガーならですが。」
便宜上、そう呼んでいるだけであって、似ているだけの別物ってこともある。
あれも誰かが作り出しているもので、ドッペルゲンガーを意識している可能性は高いと思うのだが、オリジナルの設定で、どんなものが追加されているやら。
今のところ存在が確認されているのは、ドッペルゲンガー、ドロドロの怪物、体を喰らう怪物の三種類だが、最低でも後一種類。これまで通り、親玉は存在するだろう。
とにかく想像力を最大限働かせて対処していくしかない。
まず沢山いるドロドロの怪物については、恐らくドッペルゲンガーのなり損ない。情報不足により、上手く体を作れなかった失敗作。
そして体を喰らう怪物は……
腕時計に目を落とし、計算する。
秒針の一周――60秒で短針が一気に5分進む。冴草さんの話によると、この短針が一周すると体を喰らう怪物が現れる。
つまり、体の一部分が失われるのは十二分毎。
結構余裕がありそうに思えるが、腕二本が失われたらもう逃げるしかなくなるし、その次に失われるのは恐らく足。四十八分でダルマになる計算。その時点で失血死しそうだ。
(多分、最後は首だな……。)
腕時計が巻きつくとは思えないが、ちょうど一時間でジ・エンドが綺麗な結末ではある。
実際どうなるかは分からないが、とにかくこの悪夢では怪物に遭遇したら、倒すにしても逃げるにしても時間をかけないことが重要。
正直、腕一本も失いたくはない。
「…………。何だか師匠みたい……。」
「ん……?」
「あ……事務所の所長なんだけど……。
頭が良くて、いつも要領良く仕事をこなしてて、私の憧れ。」
現役の探偵に似ている、か……。
悪い気はしないが、素直に喜ぶのには何だか抵抗がある。
俺は
まずは警察を目指して、そこで色々経験を積んで……、なるにしてもそれからだ。他にも選択肢は多いし、この世界を少しでも良くできるなら、職業なんて何でもいい。
「あなたは憧れで探偵に?」
「うん。昔から推理小説とか大好きで、子どもの頃、気配を消したり、尾行の練習とか……。周りからは馬鹿にされてたけど。」
いや、それで本当に探偵になれてるのだから大したものだと思う。
幾らからかわれても、ただ一つの夢へと真っ直ぐ進み、実現させた。羨ましいし、尊敬できる。
「でも……、結構大変なんだ。
得意なこと以外ではミスが多くて……。」
「ミス……?」
「うん……。最近、仕事で大きなミスをしちゃって……。」
顔を俯かせる冴草さん。どうやら予感の一つが的中しそうだ。
「どうせ夢の中ですし……、詳しく聞かせてもらっても?」
「…………。そうだね。ちょっと相談に乗ってもらおうかな……。」
ん。ふと思い付いた言葉で誘導してみたが、上手くいったようだ。与える情報を制限したのも効果があったか。
「ストーカー規制法って、知ってる?」
「はい。犯罪に関する法律に関しては結構勉強してるので。」
「そう……。じゃあ、7条の内容分かる?」
「ストーカー行為等に係る情報提供の禁止……。
成程……。依頼人がストーカー行為を始めたのは後からですか?」
「多分……。」
それならまだ救いようはあるか……。
ストーカー加害者が探偵に依頼する場合、まず間違いなく依頼目的をすり替えてくる。カバーストーリーというやつだが、演技力のある人間の嘘を見抜くのはかなり難しいだろう。
「確か探偵業法には教育義務が課せられている筈です。上司も連帯責任。」
「迷惑かけたくないの……。
今度は被害に遭ってる女の子から、ストーカー対策を依頼されてるんだけど……。」
そこで自分の失敗に気付いた訳か……。
「でも、書面の交付は受けてますよね? 調査結果を犯罪目的に利用しないとの約束。情報が揃ってるなら、さっさと警察に相談すれば……」
「うん。いずれ警察には任せるんだけど、その時、依頼されてたことを伏せるか、全部素直に話すか。そこで悩んでる。」
「ストーカー行為に加え、契約違反で罪を重くできる。
ただ、自分も何らかのダメージを負う可能性がある……。」
「正直、ストーカー行為って言っても、遠くから眺めてるだけで、直接手を出したり、迫ったりはしてない。
警察の注意を受けて、それでやめるかどうか……。」
「かなり微妙なところですね。」
ストーカー行為の規制は強まってるものの、ただ嫌な思いをしているというだけでは警察は動きにくい。
もっと誤魔化しの利かない行動を取ってくれればやりやすいのだが……。
「女の子って言ってましたが、被害者は学生ですか?」
「うん。高校生。」
「ストーカーとの面識は?」
「無い。
けど、ライブ配信アプリでよく顔出し配信してるっていうから、向こうは自分のことよく知ってるかもって……。」
「顔出し……。何でそんなことを……?」
「多分……、稼げるからなんじゃないかな。
依頼料、自分でポンと出せるくらいだし……。」
成程……。お金が貰えれば、個人情報が幾ら漏れても構わない、か……。
そういう生き方で成功する人間もいるが、自分はあまり好きじゃない。
今の時代、情報は高額で取引され、それが犯罪組織の資金源となっているケースが多い。
きっと想像もしないだろう。この世界にどれだけの闇があるかなんて。自分が何に加担しているかも分かっていない、分かろうともしない。
ほんと暢気なことだ。
一部の人間がどれだけ気を付けたところで、手を出して足を引っ張る人間がいるから、それを利用する悪質な業者が無くならない。
取り締まる組織がしっかり機能すればいいのだが、海外の組織も絡んでいる案件には、中々手が出せないだろう。
「はぁ……。」
「…………。もし、まともじゃない人間からの依頼を受けた。
そんな評判が周りに広まったら……。」
「問題児として扱われ、今後、仕事を任せてもらえなくなる可能性がある、か……。」
実際、問題を起こしているのだから、当然の報いだろう。
しかし……、人の人生をそんな簡単に狂わせてしまっていいものか。
安易な答えは返せない。
「契約違反を持ち出せば、怒った犯人が事務所の悪評を流す恐れがありますね。」
「だよね……。
ストーカーするような人間って、大体、心が不安定だから、何するか……。」
依頼を断るのもマズかったかもしれないな。
必ずしも正義を重視した行動が正解になるとは限らない。
例え依頼を断っても、被害者が個人情報を垂れ流し続けている以上、ストーカーが諦めなければいつかは辿り着くだろう。
早い段階で犯罪者を見つけられた、追い詰める材料が増えた、とプラスに考えればいいか。
問題は、慎重な行動を取っているストーカーに行為をどうやめさせるか……。
「修人君だったら、どうするかな……。」
「…………。」
俺だったらか……。
俺だったら……。
「……。被害者に配信活動をしばらくやめてもらって、外出もなるべく控えてもらって、ストーカーの行動に変化が生じるのを観察するのもアリですが、難しいならもう警察に警告してもらうことですね。それで止まるなら、身を切ることもない。」
「うん……。」
…………。
仮にストーカーが警察に捕まった場合、被害者のことを知る経緯を聞かれた際に探偵のことを話すかもしれない。
わざわざ自分の罪を重くするようなことをしないとは思うが、考えなしについ話してしまうこともあり得る。
そこは祈るしかないな。
「ありがとね、聞いてくれて……。ちょっと勇気が出たかも。」
「……なら良かったです。」
もっと別の方法もあるが、ここでの会話で得られる情報だけで判断するのは危険だ。無難な答えを返しておけばいい。
どうせ何を言ったところで、起きれば忘れてしまうし……。
とにかく俺にとって重要なのは、冴草 見張が悩みを抱えている、それによって多大なストレスを感じていると知れたこと。
まだ確定ではないが、現象に巻き込まれる人間の特徴を考える時に、この情報が役に立つ可能性がある。
「あの。ちょっと質問いいですか?」
「ん、いいけど、何?」
俺は手の平を上に向け、そこに黒炎を出してみせた。
「この炎。自分の意思で出せるんですけど、俺みたいに何か出せますか?」
「えっと……。どうすれば……。」
「とりあえず、想像しやすいものを思い浮かべてみてください。好きなものとか。」
「好きなもの……。」
前回の悪夢――明日人の時はこれで上手くいった。もしまたすんなりといくようなら、条件を確定とまではいかないが、だいぶ可能性を絞り込める。
「………………。」
冴草さんが黙り込んでから数秒。
《ザバァッ!!》
巻貝を思わせるシェルター。先程、黒炎で消し去ったものだ。
それがまた冴草さんを覆った。てっきり怪物の一部かと思ったが……
「あれ……? これ……。」
「中から外の様子は分かりますか?」
念の為、外からノックする。
「ううん、何も……。」
(声は聞こえるのか……。)
「なら消すことは?」
そう言うと間もなく、巻貝のシェルターはふっと空気に溶けるようにして消えてしまった。
「これ、私の力……ってこと……?」
「そうみたいですけど、巻貝みたいな見た目に心当たりは?」
「巻貝……?」
「外から見た感じ、巻貝のシェルターでした。
どうかしましたか?」
「いや……、何もない。特に……」
「…………?」
目が泳いでいる。
さっき色々秘密を話した癖に、言えないことがあるのか……?
(巻貝……、貝殻……、カタツムリ……。)
頭の中で色々連想してみるが、流石にこれだけで辿り着くのは無理がある。もっとヒントが必要だ。
まだはっきりとは分かっていないが、能力の形はその人間の個性が関係していると思われる。
明日人は分かりやすかったし、裁朶姉のハサミも何となく理解できる。
きっと冴草さんの能力が巻貝のシェルターであるのにも何らかの意味がある筈だ。
(自分を隠す……。殻で覆い隠す……。)
探偵らしい能力……なのか? 完全に覆ったら中から何も見えないし、外から見たら明らかに不審だ。
もし、隠れ見張ることが目的でないとしたら……。
(自分の身を守る……。隠蔽……。)
罪の隠蔽?
「………………。」
ふと思い付いたその瞬間、体の内側を何かが通り抜けていく感じがした。
まさか、そういうことなのか?
この人はさっき話したことより、大きな罪を抱えている……。
(いや……、違う。)
明日人はゆっくりを出した。裁朶姉はハサミ。
能力にはその人間の個性が大きな影響を与えていると考えて……。俺の能力は……。
黒炎……。黒い炎……。
とてもポジティブなイメージは湧かない。
正義ではなく、悪……。罪深き炎……。
俺の罪……。炎……。
…………。
頭の中を検索すると、該当するものがあった。
(まさか……。)
だから俺の能力は炎でこんな色をしているというのか?
未だ裁かれずにいる俺の過去の罪……。
あれは……「放火」……
いや、違う――
使ったのは俺じゃない。あいつだ。
あいつが……自分の放った炎で燃えた。
まぁ、そうなるよう、罠を仕掛けたのは俺だが。
悪い遊びなんかしなければ、怪我をすることなんてなかった。
あれは当然の報いだ。
クラスの雰囲気は、良い子ちゃんな教師の手前重かったが、全員内心では厄介者がいなくなって清々していた。
過ちには違いないが、今思い返しても、やり過ぎたとか、可哀想だとかいう気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。
あいつはそれだけのことをした。
だからあいつが病院に運ばれたと知った時、俺は心の底から笑っていた。
ざまあみろと。
「………………。」
得心がいった。
いや……、本当は最初から分かっていた。
最初の悪夢であの巨大な怪物を焼き消した時、俺は無意識の内に笑みを浮かべていた。それは愉悦を感じていたから。あの時の記憶が呼び覚まされたからだ。
理不尽を撒き散らすモンスター。
誰にも暴走を止められない中、俺が……俺だけが行動した。
親や教師は言葉で何とか説得しようとしたが、余計にあいつを苛立たせるだけでまるで役に立っていなかった。
だから、俺がやってやったんだ。
あいつがこれ以上他人に怒りをぶつけるようなことがないよう、病院送りにし、頭を冷やす時間を与えてやった。
結果、あいつは学校をやめ、引っ越していったが、大人しくなったということは知っている。
気になっていたので少し調べたのだが、別の場所では問題を起こすことなく、ちゃんと高校にも入学していた。俺の行動はあいつの為にもなった訳だ。
「………………。」
俺は忘れない。
あの一件を
結局、神頼り。
誰かが代わりにやってくれるのを、手を汚してくれるのを待っている。そんな他人に期待なんかできない。
とても自分の身を削ってまで助けようという気は起きない。
「はぁ……。」
さて、罪を犯した人間が、この現象に巻き込まれているのかどうか……。
あの廃校の悪夢では結構な人数と出会ったが……。
罪だとしたら、一体どの程度の罪なんだ?
全員俺のように、明確に他者を害した経験があると……?
そんなの……聞いても話してくれる訳がない。
家族だとしても、どんなに仲の良い友人であったとしても……。
それは「
誰にも教える訳がない。誰にも掘り起こされたくない過去――
(そうか……。それかもしれない……。)
まるで正解とでも言わんばかりに腕時計も赤く発光を始める。
「あ、修人君……!」
分かっている。
次の問題は、何故そんな人間が集められているのかということ。
――体を動かしながらも思考を続ける。
誰にも言えない秘密を持っている人間を集め、ストレスを、恐怖を与えている理由。
罪人を精神的に追い詰める?
過去と向き合わせる?
いや、どうなんだ?
中々解釈が難しい。善意なのか、悪意なのか。
また起きた後、ゆっくり整理して考える必要がありそうだ。